シオンへの帰還 - 日本語の映画の予告編 ("Marching to Zion" - trailer in Japanese)

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April 6, 2015

4,000年以上も昔のこと、主はメソポタミアでアブラハムの前に現れ、こう仰せられた。「汝、汝の故郷を離れ、親族を捨て、汝の父の家を出で、わたしが示す地へ行きなさい。さすれば汝を大いなる民としよう。」アブラハムは主が告げられたように出かけ、約束の地カナンへとやってきた。そこでアブラハムは息子イサクと、後にイスラエルと改名した孫ヤコブと共に住んだ。

イスラエルと彼の12人の息子達は、カナンの地で飢饉にみまわれ、エジプトへ行き、そこで彼らは大いなる民へと繁栄した。一方、エジプト人は地を分け合う強力なイスラエルの民を脅威に思い、奴隷とし、苦役で苦しめた。430年の後、イスラエルの民はモーセによってエジプトでの苦役を解かれ、そして紅海を渡り、アラビアへ向かい、そしてサイナイ山で主より戒を授けられた。

モーセと共にエジプトを去ったイスラエル人達は、主への信仰を欠いたために約束の地に入ることは許されなかった。主を信じる若者達が育つまで、彼らは40年も荒野をさまよわざるをえなかった。そして、ついにヨシュアと共に約束の地へ入った。

約400年間、イスラエルの12部族達はモーゼの戒により律せられた。他の全ての国のように、イスラエルの民が王を求めた時には、主はサウルを王とするよう命じ、サウルは40年間国を治めた。続く40年はダビデが王となり、そして、その息子ソロモンがさらに40年間国を治めた。ソロモン王の支配の間、イスラエル王国は最も繁栄し、初の神殿が建設された。しかし、晩年になりソロモンの心は主から離れた。そのため、主は、イスラエルの10の部族は彼の息子の統治を受けることは決してないであろうと仰せられた。

ソロモンの死後、イスラエル王国は分裂し、ダビデとソロモンの子孫ではない北の10の部族は次々と不従順な王の下に置かれた。王国の北部はイスラエルの名を保ち、後にサマリアをその首都とした。より小さな王国南部はユダと呼ばれ 、エルサレムをその首都とし、ダビデの子孫の統治を受けた。王国南部に住む人々は、王国の名ユダを由来にユダヤ人と呼ばれるようになった。

イスラエル王国北部の人々は、その不従順さから、 アッシリア人によって降伏させられ、捕虜となった。残されたイスラエル人達は、その地に入り占領した異教徒の民と混じり合うようになった。この人々はサマリア人と呼ばれ、そして、イスラエル北部の10部族は決して国に帰ってくることはなかった。

ユダ王国の南部は、他の神に仕えた罰として、後にバビロン人に占領され、神殿は壊されたのであった。しかし70年の後、ユダヤ人はユダに戻り、エルサレムに神殿を建て、以後、ダビデの子孫である王の統治が続いた。

キリストの時代には、ユダ王国はユダヤと呼ばれ、ローマ法の下にあった。イエス・キリストとその弟子達は、イスラエルの迷える子羊を探し求めて国中を歩き、教義を説いた。3年半の伝道の後、イエスは救世主ではないとユダヤ人達はイエスを否定し、彼を磔の刑に処すようローマ政府を説いた。3日後、イエスは死より立ち上がり、父の御許に上がるまえに弟子達の前に生きていることを示した。

磔になる直前、イエスは、ユダヤ人がイエスを拒否した罰として、エルサレムは焼き払われ、神殿は破壊され、ユダヤ人はどんな国の統治も許されないだろうと予言した。西暦70年、時のローマ皇帝テトスがエルサレムを征服した時、その予言は現実となった。以後1800年に渡り、ユダヤ人はあらゆる国に散り散りのままとなっている。

そして1948年、不可能が起こった。イスラエルが建国され、ユダヤ人が再び約束の地を手にしたのである。多くのキリスト教徒がこれを奇跡とし、神の祝福であるとたたえた。しかし、これは本当に主の祝福であったのだろうか?それとも悪魔の仕業なのだろうか?答えはこの映画の中に

 

 

 

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